Last modified: Sun Dec 20 01:04:40 JST 2020

自作自演ではと感じられる例

こんな「質問」が Yahoo! の知恵袋になされました。
BBQ場で持参した肉の血を捨てるのってマナー違反ですか?
とあるYouTuberが、そのような行いをしたことでちょっとした炎上になっています。
(こうしてあえてその YouTube の URL を記載)
これには、もの凄い違和感を感じました。

まず、質問者の let********さん (登録番号: 1211726655) ですが、参加日 : 2012/11/13 で質問総数 17件、回答数ゼロという、非常に稀にしか知恵袋を使わない方です。そのような人が、あえて質問をするからには、よほどの理由があるのでは、と思いました。ところが、質問の文面たるや、「なぜわざわざこれしきの事を?」と、首をかしげる内容で、どうでもいいかのような聞き方でした。そこで、「これは誰かが、質問専門に使うために利用しているニックネームではないか?」と思いました。

「ちょっとした炎上になっています」とあるものの、やり玉に上げられた YouTuber さんの該当動画のコメント欄も、批判的な物は皆無でした。私の方でも検索するなどして探してもどこにも全く炎上などしていませんでした。

全然、炎上していないのに「ちょっとした炎上になっています」と質問するのはおかしいです。そこで、 回答者のうちの K2さん (登録番号:1024362660) も、極めて異質な人でした。この人より先に、たいしたことはないじゃないか的な回答者をした達に猛反発。その、反発の度合いが異様でした。それで、

あまりこの話題に時間を割けられませんでしたが(こんな謀略工作みたいなのではなく、本当に困っている人の問題解決に役立ちたいので) というのを目にし、やはり K2さんとlet********さんは同一人物ではないか、という印象を強まりました。・

Leave No Trace 信者

過度に森林を伐採したり無駄に大きな焚き火をしない、というなら理解できるが、1960年代に興った Leave No Trace 運動が、いつの間に に変容し、自然を愛する哲学と言うより新興宗教運動っぽくなってしまった。その「信者」になると、焚き火は地面に微生物を死なせるから禁忌などと言い出すのですぐに判別できる。 Wikipedia の山火事に書いてあることなので正確性は不明だが、
近年のアメリカ合衆国やオーストラリアなどのように、落雷などにより自然に発生した山火事は自然のサイクルの一現象としてとらえ、人命に影響しない限りむやみに消火しないといった方策をとる場合もある。
だそうだが、地面に微生物を死なせるからと焚き火に度を越した反発をしてくる Leave No Trace 信者は、米国の自然公園は山火事を消さない事とどう折り合いを付けているのか聞きたい。

Leave No Trace 運動は、以前は日本でも猛威を振るっていて、焚き火など言語道断万死に値するという考えが支配的だった。今では支持する人も減り、最近のキャンプと焚き火ブームが、腸が煮えくり返るほどに気に入らないんじゃないかな、長いこと Leave No Trace 信者やってる人は。

さて、K2さんは明らかに Leave No Trace の熱心な信者さんだし、”質問者”の let********さんも、高々バーベキュー用に買った肉のパック内に溜まった少量の血を地面に注ぎだした事を問題視して、誰も問題視していないのに問題が生じているかのように語ってわざわざ質問を立てているあたり、Leave No Trace の信者さん特有の思考パターンが見えている。これは偶然とは考えにくい。

Leave No Trace 運動が、自然を、レジャー目的で、自分が手付かずのままの美しい自然を楽しみたい、が目的になってしまっていて、地球全体の環境保全とか省エネにまで目が向かないのも残念。例えば、社会に有益な学術調査ならまだしもレジャー目的で必要もないのに化石燃料を大食いする飛行機に乗り海外遠征の登山している人間が、キャンパーがバーベキューを楽しんでいる際に草の上に肉のパック内に溜まった少量の血を垂らすのは断じて許せないと猛非難を展開するとか。

なぜここまで問題視するのか

顔出しすなわち正々堂々と身分を明らかにしている YouTuber の人を、ニックネームすなわち事実上の匿名で猛非難するのはおかしく、控えるべきである。

匿名の人間らがよってたかってプロレスラーの木村花さんを罵倒し炎上させ自殺に追い込むという本当に忌まわしい事件が起きたがその加害者には怒りを覚える。今回の件もそれに似ていて、故意にYouTuberを炎上させる目的で知恵袋を悪用したのではないかと疑問に思っている。

いずれにせよ人を公然と批判するなら、自分が批判される事もある、位は覚悟しているはずである。